人間の醜さと美しさを描いた陰鬱な後半

物語は賛否両論を呼んだ後半戦へ突入する。複雑なので、あらすじも含めて感想を書いていく。

アポカリプスウイルスの大感染で都心は完全封鎖。ネットも電話も繋がらず、集や生き残った学生たちは天王洲第一高校に避難することに。

危機は去ったが、ウイルスのワクチンや物資の不足、そして絶対的なリーダの不在によって、生徒だけでの避難生活が徐々に苦しくなり始める。

前半が葬儀社の活動を中心とした爽快感のあるSFアクションだったのに対し、後半は一気にサバイバルな学園ドラマへシフト。閉ざされた空間の中で、モラルの崩壊、人間関係のきしみ、リーダーの必要性といったテーマがこれでもかと描かれていく。

よく学校は社会の縮図だと表現されるが、これを見るとそう思わざるを得ない。

リーダーの必要性が問われるなか、ヴォイドの力を示した集が谷尋の後押しもあり生徒会長に就任することに。ちなみに集は2度目のロスト・クリスマスで、王の能力が変化し、引き出す相手の意識を保ったままヴォイドを渡すことが出来るようになっている。

こうした能力もあって、涯には無い、集らしいリーダー像を見せてくれるかと思った矢先、谷尋から、全生徒をヴォイドの強さでランク分けするヴォイドランク制を提案される。

上下関係を敷けば人は倍働くと主張する谷尋の気持ちも分からなくはないが、他人の目を気にする性格の集はその提案を拒絶するのは自明。

集はリーダーには不向きというのは、クラスメイトであり、一悶着あった谷尋には分かりきっていたことだと思うが、なぜ彼を推薦したのか、理由は良く分からない。もともと生徒会長を務めていた供奉院亞里沙を表に立て、集は2番手として立ち回る方が良かったのではなかろうか。

そんななか、ヴォイドランク制の噂を嗅ぎつけた魂館颯太たち最低Fランクの生徒たちが、ワクチン入手の為に勝手な行動を取る。

そして物語の大きな転換点となった祭の死。あのシーンは何度見てもつらすぎる……。真っ直ぐで優しくて、最も普通の幸せを体現していたキャラを退場させるのは衝撃的で、当時も視聴者の心をえぐったはず。

原因は颯太たちの軽率な行動ではあるが、集や生徒会の情報管理不足もあって、誰を責めればいいのか分からない。理不尽さと不運が重なっているからこそ、余計にキツい。

ここから集は完全に闇堕ち。ヴォイドランク制を導入し、低ランクの生徒に危険な仕事を押し付け、恐怖で支配する暴君になってしまう。ただ、集自身もみんなのためだと思い込まなければメンタルを保てない状態で、それがいのりへの依存に繋がっていくのがなんとも痛ましい。

そんな状態のなかで行われた東京脱出作戦エクソダス計画は無事成功するが、亜里沙率いるクーデター派から裏切られ、さらに死んだと思われていた涯に右腕を切り落とされ、王の能力を奪われてしまう。当時ネットでもネタにされた、腕があああああ!僕の王の力があああああ!!というやつだ。

人を虐げてきた報いなのかもしれないが、曲がりなりにも先陣を切ってきたリーダーに対しての仕打ちがこれなのかと思うと、集があまりに不憫で仕方ない。

友達に裏切られ、仲間にも裏切られ、生きる意味を失った集は、いのりと共に逃避行を始める。

ここまで見ても分かる通り、後半の物語は前半と比べて明らかにシリアスで、救いようがない鬱展開もある。しかし、サバイバルな学園生活を通して、人間の闇の部分を徹底的に描き切っているのは素晴らしい。キャラクターの行動にも、共感はできなくても納得できる点は多いので、脚本が酷いと評価される理由は特に見当たらない。

しかし、涯が復活した辺りから、ダァトという秘密結社が物語にがっつり関わってくるのだが、ここから敵組織の目的が掴みづらくなってくる。涯と過ごしてきたアルゴでさえ、誰か教えてくれねえか、涯の奴一体何やらかす気なんだと言っているくらい、止める側も何を止めるのか理解していなかった。

ダァトの目的を大まかにまとめてみよう。

ダァトは、アポカリプスウイルスの第1感染者である桜満真名をイヴとし、復活した涯をアダムとすることで、世界改変を行う、つまり4度目の黙示録を目的としていた。

4度目の黙示録とは、涯曰く脆弱な肉体を捨て、結晶の中に永遠の思考を獲得する。それが次なるステージ。ヴォイドは前触れだったのさ、心が物質となる新たな世界の。とのこと。

イブである真名を復活させるためには、魂を入れるインターフェースである楪いのりが必要だったため、ダァトは集と逃げていた彼女を捜していたのだ。

初めて聞いた時はさっぱりわからなかったが、つまり人類の進化によって、永遠の生を獲得するということなのだろう。実際に4度目の黙示録の後はどんな世界なのかというのは、最終回にて丁寧に描き出されていた。

ただ、ダァトの意思とリンクしていたように思えた涯の行動も、実はかつて愛した桜満真名のことを解放するためであり、4度目の黙示録は本心から望んでいたことではなかった。

涯は、集が必ず止めに来ると賭けていたので、自らが滅びるつもりだったことも明かされる。

後半が怒涛の展開のうえに、尺の都合もあったのか、ダァトやその一員であるユウという金髪少年の説明描写がほとんどないので、誰が何のために行動をしているのか混乱してしまうのだろう。1周目で理解するのは難儀だが、じっくり見てみると、相関図も自ずと浮かび上がってくる。

そういえば、敵組織だと思われていたGHQも、ダァトと茎道修一郎による計画に利用されていたので、完全悪というわけではないのかもしれない、なんてことを思った。

話を戻すが、いのりを連れ去られた集は、これまでに犯してきた罪を省みて、自らに3つ目のヴォイドゲノムを打ち込み、自身のヴォイド右腕を引き出す。

集のヴォイドは、他人のヴォイドを格納できる最強の能力を有し、さらにこのヴォイドはアポカリプスウイルスの分離と吸収をすることが可能となる。

友達と和解を果たし、ヴォイドを借りて敵を倒していく集には胸を打たれ、他人の苦しみを次々と引き受けていく展開は、涙なしには見ることができない。僕に悪意を向けた人だって、誰かに愛されて産まれたんだという集の言葉は、アニメ屈指の名セリフである。

この時、いのりは既に真名に乗っ取られてしまっていたが、いのりの記憶が残した結晶の花から彼女のヴォイドの剣を取り出し、最後には涯に打ち勝つのだった。

いのりは全身結晶化が進んでいたため、集は彼女と一緒に世界中のアポカリプスウイルスを集めて逝こうとしていたが、いのりがその全てを引き受けたことにより集だけが生き延びることに。

それから数年後には、集は右腕と視力を失っていたが、かつてのクラスメイトと葬儀社のメンバーと集まっている様子が描かれていた。また集の心の中では、いのりはずっと生き続けているというメッセージを最後に、物語は幕を閉じる。

大きな力には、大きな代償が伴う...にしてもこんな終わり方は辛すぎる!!と思う人もいるだろうし、こんなことなら集はいのりと死んだほうが良かった!!という人も一定数いるはずだ。正直筆者も、これはバッドエンドではないかと思った時期もある。

しかし、これはいのりの意思によるものなのだ。

愛した人の最後の意思を受け取った結末ということを考えれば、否応なしに美しいラストだったと言える。

見終わった後の喪失感は凄まじいが、それも含めてギルティクラウンという作品の強烈な体験なのだ。

ギルティクラウンの総評

何度見返しても、ギルティクラウンはアニメーションとして圧倒的な完成度を誇る作品だと思う。

濃密なSF世界観に加え、redjuiceによる洗練されたキャラクター原案、神がかった音楽、そして多少の説明不足はあれど、主人公の成長譚として物語を引っ張る推進力がある。

どの要素を切り取っても、製作陣の凄まじい熱量が込められており、視聴者を強烈に惹きつける。

タイトルに込められた宗教的なモチーフや、ニーチェに通じる哲学的な要素も垣間見え、この作品を一言で片付けてしまうのはあまりに惜しい。むしろ、背景にある思想や設定を網羅した資料集を読んでみたいし、根強いファンも少なくないはずだ。

駄文を重ねてきたが、ここで筆を置こう。
挑戦心に満ち満ちたオリジナルアニメギルティクラウンは、やはり最高だ。