何年かおきにふと、「あれ...昨日の晩まで頭にもよぎらなかったけど急に見たくなってきたな...興奮してきたな」と、某芸人のコントばりに突然『ギルティクラウン』を見返す筆者だが、先日またそのサイクルが来たので一気見してしまった。今回はその感想をまとめようと思う。
まず、この『ギルティクラウン』は2011年のアニメということで、放送開始から既に10年以上の時が経っている事実に驚かされる。しかしクオリティは今見ても全く色褪せず、2026年現在に放送されていても遜色ないレベルだ。当時の制作陣のとんでもない熱量が画面から伝わってくる。(ちなみに2011年は全クール豊作の年だった)
作品全体を包み込む近未来の世界観、圧倒的に美しい作画、ケレン味に満ちた戦闘シーンというアニメーションとしての質の高さは言うまでもない。
さらに、天才劇伴作家・澤野弘之による劇伴、後にアニメファンに絶大な支持を得ることとなる音楽ユニットEGOISTの誕生など、アニメ音楽の価値そのものを底上げした功績も計り知れない。
では「肝心の物語はどうだったか...?」という話になるのだが、これが本作の評価を真っ二つに分けることとなってしまった。
検索エンジンで『ギルティクラウン』と入力すると、予測検索には「ひどい」や「意味不明」といったキーワードが多数出てくるほどには賛否両論。中には、「綺麗なゴミ」と、まるで脚本だけが欠点であるかのように、痛烈に揶揄するワードまで出てくる始末。
リアタイしていた頃の筆者であれば、「そんな訳ないだろ!!こんな神アニメになんて事言うんだ!!」と、青臭さ全開で真っ向から噛み付いていただろう。しかし、今一度見返してみると、確かにそのような批判的な意見が飛び出すのも分からなくはないと思ってしまった。
大人になると、見えなくても良いものまで見えてしまうのが辛い。あの頃は、まだ見ぬ未来に胸を躍らせ、望遠鏡を覗き込んでいた...という存在しない筈の情景は、BUMP OF CHICKENに由来していることを確認。
くだらない戯言はさておき、本作『ギルティクラウン』の物語は大きく前半と後半の2つに分けられる。特に後半は、シリアス路線に振り切った鈍重な雰囲気のうえに、唐突かつ複雑な展開が詰め込まれているため、槍玉に挙がってしまいがちだ。
だが、そんな批判の的になっている後半の展開を含めても、筆者は『ギルティクラウン』が大好きだ。その理由を、キャラクターや世界観設定、音楽やシナリオ面に触れながら話していこうと思う。
いまさらだが、今回のレビューは主観多めである。その点はご容赦を。
ギルティクラウン
監督|荒木哲郎
音楽|澤野弘之
アニメーション制作|Production I.G
放送|2011年
話数|全22話
ギルティクラウン 基本情報
キャッチコピー
友達を武器に戦う。
それは僕が戴きし、罪の王冠。
あらすじ
2029年、宇宙から飛来した未知のウイルス・アポカリプスウイルスの蔓延による大事件ロスト・クリスマスで、大混乱に陥った日本。
それから10年後、無政府状態となったこの国は、超国家間で組織されたGHQの統治下に置かれ、かりそめの平和を享受していた。天王洲第一高校に通う桜満集(おうましゅう)は、ウェブで絶大な人気を誇る歌姫、楪いのり(ゆずりはいのり)と出会う。
彼女がGHQから日本の解放を謳う「葬儀社」のメンバーだと知った集は、世界を揺るがす闘いに巻き込まれていくのだった。
キャッチコピーの「友達を武器に戦う。 それは僕が戴きし、罪の王冠。」が、あまりにもカッコよすぎる。パッと見何だかよく分からないのに、罪の王冠という響きは厨二心をくすぐるし、友達を武器に戦うという設定も斬新で面白い。
王道漫画とSFを組み合わせた前半
まず冒頭4分を見た瞬間、「これはとんでもないアニメが始まったぞ...!」というただならぬ高揚感に包まれる。
誰もが知る東京は光と影に分断され、東京タワーが発する紫色のライトは異様な存在感を放つ。そしてピンク髪の少女が、何やら機密情報のようなものを盗んで、敵対組織のロボットに追われる様子が描かれる。
そこにEGOISTの歌が、MVのような神秘的な映像と共に流れ、そんなMVを美しい東京の街をバックに、物憂げな表情で見つめる青年。少女は負傷して川へと落下し、『ギルティクラウン』とタイトルバック演出がなされる。
このわずか4分で、最高のキャラデザイン、凝ったSF世界、美麗な作画、そして圧倒的な音楽という「神アニメの要素」がすべて提示されるのだ。期待感は否応なしに高まる。
ギルティクラウンの物語を端的に言うと、ディストピアの世界を舞台にした、ボーイミーツガールから始まる主人公の成長譚だ。
未知のウイルスによって日本が崩壊寸前のなか、主人公の桜満集は、世間をどこか冷めた目線で見ながらも、「僕にももっと、やれることないのかな」と、内心では非力な自分を変えたいと思っている高校生。
そんな集が、ウェブの人気歌姫である楪いのりと出会い、ピンチに陥った彼女を助け出そうとするところから物語は動き出す。
序盤は清々しい程に王道な展開なのだが、さりげない会話や余白のある演出がキャラクターを立体的にしている。
やがて集は、いのりが所属する葬儀社のリーダー・恙神涯らと関わるなかで、偶然「ヴォイドゲノム」という王の能力を手にする。このヴォイドという設定が実に魅力的。
ヴォイドは17歳以下の人間から取り出すことが出来る物質で、その形状や効果は、個々の恐怖やコンプレックスを反映する。
たとえば足に障害を持つ人からは、「自由に歩きたい」という願いが具現化し、スケートのようなヴォイドとなる。つまりヴォイドとは「心の形」そのものなのだ。
だからこそ、戦って勝利するだけでは終わらない。集の心には、他人の内面を覗いてしまった罪悪感が重なっていく。まさにキャッチコピーにある“罪の王冠”そのものだろう。
記事の冒頭で、「大人になると見えなくてもよいものが見えてしまう」とふざけ半分で書いたが、集の能力はその究極の形だ。友達の本心がヴォイドという形で可視化されれば、何を信じていいのか疑心暗鬼になってしまうに違いない。
劇中でも集は能力のせいで疑心暗鬼どころか自暴自棄になってしまうのだが、それでも自身の能力と、そしてそれを抜き出す友達と真正面から向き合うことで、成長していく。
このように物語前半は、学校のクラスメイトや葬儀社メンバーのヴォイドを駆使した戦いを通じて、今まで人と距離を置いてきた集が心を通わせていく、王道成長劇となっている。
挫折と成長を繰り返していく集は、見ていて共感できるし、思わず応援したくなるような主人公...だと思っていたが、悲しいことにネットでは、「クズすぎる」とか「最低だ」とか言われており、賛否がはっきり分かれている。
たしかに、人に流されがちな言動、任務の重圧から逃げる姿はヘタレ要素満載だろう。だが、前半部分までの集は、むしろ等身大で繊細な男子高校生として非常に魅力的だ。
葬儀社という非日常の中に、一介の高校生がいきなり放り込まれたら、慌てふためくより前に、立ちすくんで動けなくなると思う。そんな中でも時折大胆な行動を見せる集は、どちらかと言えば勇敢な主人公の部類なのではないだろうか。
また、葬儀社のリーダーとしてカリスマ性を発揮する恙神涯への嫉妬心から、「どうしてみんな涯が良いんだ!!」と走り出す青臭い一面もある。しかし、それもこれも集の家庭環境や過去が影響し、誰からも必要とされていないと感じる自己評価の低さが原因だ。
そんな集が、自分を必要としてくれたいのりに好意を向けた途端、実はいのりの行動の数々は、涯の命令によるものでしたとなれば、思春期青年の自尊心はズタボロになるし、投げやりにもなるだろう。
集にとっていのりがモチベーションになると踏んだ涯は策士だとは思うが、典型的な美人局の手法を使う涯にこそ批判の声が上がっても良いのでは。
ただし、祭とのやり取りは庇いきれない。傷心のあまり、彼女の優しさにつけ込もうとしたあげく「だって祭は僕のこと好きなんだよね?」と鈍感キャラの仮面を自ら剥がしてしまう...これは正真正銘のクズ行動だ。
それでいて祭に対して少しそっけない態度を見せていた集は、いかがなものだろうか。やっぱり集はクズなのかもしれない(笑)。
とまあ多少のツッコミどころはありつつも、集は自身の力を使い、葬儀社のため、世界のために戦っていく。
前半のクライマックスとなる第11・12話では、GHQアンチボディズ指揮官・茎道によって再び「ロスト・クリスマス(厳密には擬似)」が引き起こされる。涯の指示のもと、集はロスト・クリスマスの元凶である桜満真名を涯ごとヴォイドで貫き、終末を回避する。激動の前半はここでひと区切りを迎える。
主題歌と澤野弘之のサントラが圧巻すぎる
後半の感想に移る前に、『ギルティクラウン』の肝とも言える「音楽」について触れておきたい。
本作の主題歌は、1クール・2クールともにオープニング、エンディングを含めてチームsupercellが手がけている。
なかでも特筆すべきはEGOISTの存在。EGOISTは、ヒロインの楪いのりがボーカルを務める劇中発の架空アーティストとして誕生し、主題歌のみならず劇中歌まで担当している。この試みを見れば、『ギルティクラウン』がいかに音楽を前面に押し出した作品であるかが伺えるだろう。
1クールEDの「Departures ~あなたにおくるアイの歌~」は、いのりの純粋な心情をそのまま音にしたかのような珠玉のラブソングであり、2クールOPの「The Everlasting Guilty Crown」は、緊迫する物語に呼応するように、張り詰めたビートと圧倒的なボーカルが突き刺さる、まさに神曲と呼ぶにふさわしい一曲だ。
EGOISTは放送終了後も活動を続け、多くのヒット曲を世に送り出したが、2023年に活動を終了。結局ライブに行けなかったことはいまだに悔やまれる...。余談だが、筆者が最も好きなEGOISTの楽曲は『PSYCHO-PASS サイコパス』のED曲「名前のない怪物」。いつ聴いても鳥肌モノにカッコいい。
そして、ギルクラの音楽を語るうえで欠かせないのは、劇伴作家の澤野弘之によるサウンドトラック。
澤野弘之とは、言わずと知れた天才作曲家であり、放送前のアニメでも、スタッフ欄に彼の名前を見つけただけで「これは神アニメに違いない」と確信できるほど信頼感がある。
本来サウンドトラックは作品を盛り立てるためのものだが、澤野の音楽はその役割を超え、時にアニメの格を2段階も3段階も押し上げてしまうほどのエネルギーを帯びている。それ故に、彼の音楽が主役として響く場面もあるほど。
『ギルティクラウン』はそんな澤野サウンドと最高の相性を見せた。
集が王の能力を宿すシーンや、美麗な戦闘シーンを彩る「βίος」を筆頭に、「Rё∀L」「α」、そして予告で使われ印象を残した「friends」など、多彩な楽曲が並ぶサウンドトラックは圧巻の完成度。
澤野自身も「ここまで自由にやれた作品はあまりない」と語っており、民族音楽をテクノやロックのフィルターを通して再構築するなど、作品世界に寄り添いながら自由度の高い“近未来の音”を鳴らしていた。
アニメ抜きにしても、1枚のアルバムとして完成度が非常に高く、まさに名盤と言える。
放送から10年以上経った今聴いても色褪せることなく、“未来の音”として響いてくるのは凄まじいことだ。もし当時スルーしてしまった人がいたら、この機会にぜひ澤野サウンドに浸ってほしい。